家紋設定:志太氏
鞘収め脇差紋(さやおさめわきざしもん)
志太氏の発祥は扇山の国人衆であったと言われている。
当時の志太氏は正式な大名家では無い故に権力も弱く、常に隣国の脅威に怯えていた。
その為に刀を持つ事もままならず、代々の当主はその代用として脇差を帯刀していたという。
志太氏は、この頃における唯一の権力の象徴とも言える武具の脇差を家紋として使用し始めたとされている。
やがて時代は流れ、志太 祐昌(しだ すけまさ)が当主となった時代に扇山の地で大規模な内乱が発生。
この混乱に乗じた祐昌は巧みな外交手腕によって各地の国人衆を上手くまとめ、扇山においての有力者となる。
そして祐昌の孫にあたる志太 祐村(しだ すけむら)が当主となった頃に、白河家との同盟を結ぶに至る。
しかし同盟とは名ばかりであり、白河家との国力差が激しかった為に実質的には従属関係に近い状態であったという。
それでも大国であった白河家の庇護によって各国からの脅威に対抗して家名を存続できた事は大きな意味があったと言えよう。
後に祐村は家臣の大村 義藤(おおむら よしふじ)を自身の娘である紅姫(くれないひめ)と婚姻を結ばせた。
そして義藤を婿養子に迎え入れて家督を相続させた事をきっかけとし、志太家は大大名への階段を登り始める事となった。
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