家紋設定:大野氏

山茶花紋(さざんかもん)

山茶花の花は椿と姿形がよく似た植物として知られている。
大野家は白河家に仕える譜代衆であった為、椿に似た山茶花の紋を使用し始めたと言われている。

時は流れ、大野 道房(おおの みちふさ)が大野家当主の頃に主君 白河 広秀(しらかわ ひろひでの妹である環姫(たまきひめ)と婚姻。
これにより白河家と大野家は縁戚関係を結ぶこととなる。
そして数年後に嫡男の大野 道嶺(おおの みちみね)が誕生。
その際に広秀より一門の証として椿紋の使用を許されたとされるが、道房はこれを辞退する。
後日、道房は
「白河様の御紋を我が大野家が賜るなど真に恐れ多きことなり」
と書かれた書状を広秀に送っている事から道房は、白河家に対して相当な畏敬の念を抱いていた事が伺える。

やがて嫡男の道嶺が家督を継いだ数年後に広秀が急死する。
それを受けて広秀の嫡男である白河 広氏(しらかわ ひろうじ)が白河家当主となるが、その暗愚さ故に家臣たちの離反が相次いだとされている。
しかし、大野家は白河家が滅亡する最後の最後まで仕えていた事からも白河家に対する忠誠心は厚かったと言えよう。

白河家滅亡後は志太家による説得もあり、志太家に仕える。
その際に道嶺は、大野家の旗印の紋を白色の山茶花から赤色の山茶花に変えている。
これは、白河家の旗印の紋が赤色の椿であった事から、白河家に対する道嶺なりの敬意を払ってそのようにしたと言われている。
どうやら白河家が滅びてもなお、恐れ多いという畏敬の念は無くならなかったようである。

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佐村孫千(サムラ マゴセン)と申します。 私の脳内連載を形ある小説に記すべく 日々執筆を続けております。

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